「夢……だったのかな?」
目覚めた葵が思わず呟いた言葉。
百四十年前の明治の世から平成へと戻ってきた日の翌日。
向こうで過ごしてきたことは、勿論鮮明に覚えていた。
旅の一座に身を寄せ、神器を振るい、裏紋と戦ってきたこと。
その一座の座長『神鳴剣助』が、実は幼馴染み『神鳴宗助』の前世だったということ。
葵自身、夢でないことをわかってはいた。しかし、何故か胸の内はもやもやと落ち着かない気持ちを抱えていた。
枕元の目覚まし時計は、寺の鐘を鳴らす時間より早い刻を指している。
「まだこんな時間なんだ……」
早くに目が覚めたのは、その落ち着かない気持ちのせいかもしれない。
──ギイィ……。
葵はゆっくりと扉を開くと、昨日も見た薄暗い空間が目の前に現われた。開けた扉から射し込む光が、蔵の中を舞うちりや埃の姿をちらつかせる。
変わっていないことは、わかっていた。だが、何かを求めてというより葵の足は自然とこの蔵へと向いていたのだった。
中に入ると迷いもなく奥の方にある棚に向かい、しゃがみこむ。昨日、葵が置いた鏡は、変わらぬ姿でそこにあった。
「…………」
葵は両手を伸ばすと、鈍い輝きを放つその鏡をしっかりと掴んで引き寄せた。ほどよいその重さは、葵の胸のもやもやをほんの少しだけ晴れさせてくれた気がする。
「こんな早くから、何やってんだ?」
「──!」
急にかけられた声に葵は身動ぎながら振り向くと、蔵の入り口には宗助がこちらを見ながら立っていた。
「もう、驚かさないでよ……。あ、おはよ。宗助こそ、どうしてここに?」
「ああ、おはよう。俺は……オマエが蔵に入っていくのが見えたからさ。いつもならまだ寝てる時間だろ?」
そう言いながら葵の元へ歩み寄り、葵と同じように傍らにしゃがむ宗助。
「なんか目が覚めちゃって……。ね、宗助……明治のこととかって、夢じゃなかったんだよね?」
確かめているつもりではなかったが、手にした鏡を眺めつつ、葵は宗助に訊ねていた。
「……明治? オマエそれ、何の話?」
「えっ!?」
宗助の予想外の回答に、葵は思わず顔を上げて彼の顔を見た。怪訝な顔で葵を見返してくる宗助に、葵の胸がざわつく。
「本当は、夢……だったの……?」
先ほど少し晴れたかに見えた胸中のもやもやが、再び広がりはじめそうになったその時──。
「ははっ、悪い悪い。……軽い冗談だよ」
戯けた口調で宗助は葵に笑いかけながら、彼女の頭をくしゃっと撫でた。
「なっ! もう、ひどいよ宗助!」
葵は口を尖らせ抗議しながらも彼の言葉に安心する。しかし、その仕草に引っかかるものを感じ、それが何かを探ろうとした。
「…………」
「なあ、アオイ……」
「ん? どうしたの?」
声をかけてきた宗助に思考を阻まれ、その声に違和を感じつつも返事をする。すると、宗助の腕がふわりと葵の身体を優しく包み込むように抱きしめてきた。
「ちょっ……」
「お前のこのぬくもり……本当に夢じゃないか、もう一度オレに確かめさせてくれないか?」
葵の耳元に掛かるのは、いつもと違う懇願の音。
「そう……すけ?」
葵の呟きを構うことなく、宗助は彼女から少し身を離すと、今度はゆっくりと頬に手を伸ばす。
「──っ」
触れられた頬が感じる宗助の手は葵の頬を優しく撫でると、そのまま肩に掛かる髪に触れつつ這うように首から背中へと回された。
昨日と同じ様で違う感覚に、葵の身は何故か強ばり、同時に胸に生じた疑問を呟く。
「そ……スケさん?」
「……お前さ、このタイミングで聞いてくるか?」
溜息混じりの宗助に、葵は少し申し訳なくなる。
「はは、ごめん……なんかわかんないけど──」
だが宗助は葵の言葉を最後まで聞かず、戯れのように返してくる。
「良いよ。今、こうして触れられる距離にお前はいる……確かめる方法なら幾らでもあるし?」
「えっ……?」
宗助はにんまりと笑顔を見せると、葵の背に回した腕と逆の手で、彼女の寝間着の胸元に連なるボタンへとさりげなく手をかける。
「ちょっ……そ、それって──」
──ゴーン……。
前触れ無しに聞こえてきたのは寺の鐘の音。宗助の手が動きを止め、蔵の入り口を一瞥する。葵はその音に救われたとばかりにすぐさま宗助の手を掴んだ。
「ほ、ほらっ! お父さんが起きてるってことは、お母さんが様子を見にくるかもっ。蔵の扉が開いていたら、不審に思って覗くだろうし!」
「……確かにおばさんならあり得るな。今までことごとく邪魔されてきたし……」
「邪魔?」
「いや、何でもない。……けど、このままってのは悔しいよな」
「……悔しいって、意味がわかんないよ」
葵は目を瞬かせ、首をかしげながら宗助を見つめる。だが、返されたのは愛おしさが込められた優しげな眼差し──。
ふいの微笑みに葵の胸はとくんと高鳴り、
──っ!
気付くと自身の唇は、宗助のそれによって塞がれていた。
2012年6月29日UP(初出:2012年6月24日イベント配布ペーパー)
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
当HP初の葵座SS公開〜。宗助×葵エンド後の翌日を想定。
元は2012/6/24に開催のイベント参加したときに用意したペーパー用SSを少し修正(といっても大して差はない)したものです。
ネタに困っていたら友人がエンド後の話はどう? と一緒に考えてくれたのですが、個人的には今回、こんな一場面があってもいいかな? というスタンスで書きました。なので、今後、こうじゃないパターンだったり、全然違う話を書いたりしそうです。
何故かというと、再演の小噺二を見る前と見た後の、これまであった自分の中の宗助像と葵ちゃん像にブレがあったので、まだまだ彼らのことを取り込めてないなぁと痛感したため…。どうしても宗助より剣助色が強く出る気が…うぅ。
葵座SS初公開作品なのに、こんなにブレてていいのだろうか…不安(汗)。
……あ、『オレ』『お前』『アオイ』は、わざとです。