「珍しい……こんな所で居眠りしてるなんて」
望美が有川家のリビングを訪れると、いつもは譲が姿を見せてくれるのだが、今日はそれがなかった。
自然に彼の姿を探しソファに近づくと、そこに横たわる譲を見つける。閉じられた瞳と胸元で上下する伏せられた本。これだけ見れば眠っていることが明らかだった。
──いつも忙しそうだもんね。
日頃の彼を見ていて、疲れないはずはないだろうと当たり前のことを思い、望美は物音を立てないようにそっと顔を覗き見る。
「あっ、眼鏡かけたまま……」
外す間もなく寝入ったのだろう。
よけいなお世話かもしれないと思いつつも、両手を伸ばして譲の眼鏡を外した。
手にした眼鏡をチラッと覗くと、見慣れぬ視界に咄嗟に顔を引く。それほど度が強い方ではないと聞いていたが、望美にとっては少しキツい。何度か目を瞬いてから慣れない手つきで眼鏡を折りたたみ、そっとテーブルの上に置いた。
「うわぁ……やっぱり睫毛、長いよねぇ……」
ソファの背に寄りかかり見下ろすのは、眼鏡のない譲の寝顔。普段は見る機会のない貴重な顔に望美は満足げに、にんまりする。
そうしてしばらく、そのままの体勢で譲の顔を眺めていた。
「今は……よく眠れてるのかな……」
急に、向こうの世界で眠れないといっていたときのこと思い出した。あの時は良くない夢を見ると聞いていたが、今はもう、見てないのだろうか。
望美は気になりだしたらいてもたってもいられなくなり、もっと譲の顔をよく見ようとソファの背に身を乗り出した。眉に少し掛かっている譲の前髪を、額に触れないよう指でそっと持ち上げる。
表れた眉間にしわはなく、寝息は静かでうなされている様子もない。
(よかった……)
望美はほっと胸を撫で下ろして身体を戻そうとした。と、その時。
──ずるっ!
「うわっ!」
乗り出した身体を支えていた手が滑った。咄嗟に手に力を込めて前へ倒れこみそうになる身体を支え直す──。
「くっ──。……ふぅ」
望美は倒れ込むことなく、なんとかギリギリのところで身体を支えることが出来てほっとした。
「──っ!?」
だが、それもつかの間。無意識に瞑っていた目を開いて、次は息を呑む。
目の前には、気持ちよさそうに寝入っている譲の顔があった。先ほど睫毛や眉間を見た時よりも近く、顔を向かい合わせた状態だ。
(近くで見ると、本当に綺麗だなぁ……)
すっと通った鼻筋に整った唇。間近に見る無防備な譲の寝顔に、望美は驚きも忘れて見とれていた。
しかし、ふと自分の態勢を客観視する。
(これって、寝てる相手にキスするみたいな態勢だよね……)
「そうすると、私が王子様?」
眠り姫の話を思い出して、思わずふふっと笑ってしまう。でも、もし本当にキスをしたら目覚めるだろうか……。
そんな邪な考えが頭をよぎり軽く閉じられた譲の唇を見つめると、望美は吸い寄せられるようにその唇に自分のそれを近づける……。
身体を支える手に自然と力が入り、ソファがギシッと音を立てた──。
──ぱちっ。
不意に譲の目が開き、目の前の望美と目が合った。
「……先輩?」
「あっ!」
望美は跳ね上がるように身体を起こすと、ソファの裏に身を隠すようにしゃがみ込んだ。
(今、私、何をしようとしてた?)
急に我に返り、恥ずかしさがこみ上げてきて顔が熱くなる。
譲はゆっくり身体を起こしながら、胸の上に開いたままだった本の存在に気づき、閉じてソファテーブルの上に置いた。鼻の辺りに手を当ててから本を置いたテーブルの上を一瞥すると、続いてソファの裏に中腰で様子を窺っている望美を見据える。
寝起きのせいか、普段より少し虚ろで儚げに見えるその視線に、望美の心臓は破裂しそうなくらい脈を打っていた。
(さっきのこと、気付かれてない……わけないよね)
訊ねられたらなんて答えたらいいのだろう。望美は思い悩みながら、譲の視線を受け止めていた。
「先輩」
「なっ、何?」
「俺の眼鏡、知りませんか?」
「あ、ああ、眼鏡ね」
譲のいつもと変わらない態度に、上擦った声で返事をした望美だったが、少し拍子抜けする。
「ごめん、かけたままで窮屈そうだったから、勝手に外しちゃったんだ。本当にごめん」
テーブルの上に置いておいた眼鏡を譲に差し出した。
しかし、譲の手は眼鏡ではなく望美の腕を掴んで、そのままぐいっと引き寄せる。
「きゃっ!」
望美の身体がソファから乗り出すようになり、顔が譲と間近で向き合った。
「────ッ!!」
近すぎる彼の顔は、先ほどの自分の行動と後ろめたさを思い出させた。そんな自分を見られるのが耐えられずに、咄嗟に顔を背ける。
「……どうしたんですか?」
「ひゃんっ!」
顔を背けたことにより、図らずも譲に耳元で囁かれる形となり、その不意の攻撃に望美は思わず声をあげてしまった。
「先輩?」
譲が心配そうに声をかけてくるが、望美にとっては恥ずかしさが増すばかりだ。いたたまれなくなり、堪らずぎゅっと目をつぶる。
「べっ、別に、何でもないよっ」
だが、自ら閉ざした視界のせいで、間近にいる譲をより一層意識してしまう。
(どうしてこうなっちゃうの?)
自己嫌悪に陥りながら、望美の胸はさらに苦しさを増して、早くこの状態が終わらないかと気が気ではなくなっていた。
「照れてる先輩も、可愛いですね」
「!! 譲くんっ、何をい──!?」
耳元に飛び込んできた譲らしからぬ台詞と声に、背けていた顔を思わず戻して抗議しようとした。だがそれは、譲の唇によって強引に塞がれてしまった。
「??」
一瞬、何が起きたのか判らなかった望美だったが、すぐに事態を把握する。そして譲から逃れようと身をよじるがいつの間にか腰に回されていた腕により、距離がとれなくなっていた。
「────……っ」
望美が観念して抵抗をやめると、譲もすぐに彼女を解放した。
「…………もうっ! 譲くんってば──」
「先輩。すみません」
今度は静かな口調で謝りながら望美の言葉を遮る。
「先輩に寝込みを襲われるシチュエーションも悪くないと思ったんですけど……、自分が『姫』役っていうのはやっぱりちょっと」
何気ない口調でそう言うと、譲は望美ににこりと微笑みかけてくる。
(独り言も聞かれてたんだ)
望美の頬は熱く、穴があったら入りたい気持ちだった。しかし同時に、譲に翻弄されっぱなしのこの状況が、なんだか悔しく思い始める……。
「……ねえ、譲くん。眼鏡がないと困るよね?」
「えっ? ええ、まあ」
望美は不敵な笑みを浮かべながら問いかける。
その様子に譲は何を感じ取ったのか。少し不安げな表情で望美を見返すと、彼女は先ほどから手にしたままの眼鏡を譲の前にちらつかせた。
「それじゃあこれは、私が譲くんにかけてもいいかな?」
譲の不安は不審に変わり、眉根を潜めて望美に訊ねる。
「……はい? 子供じゃないんですから、自分でやりますよ」
──返してください、と望美の持つ眼鏡を取ろうとしたが、惜しくもその手は空を切る。
「遠慮しなくていいのに。それとも、何か問題でもある?」
望美のからかうような口調に、譲は憮然と言い返した。
「大ありですよ。なんで俺が先輩に眼鏡をかけさせて貰わないといけないのか、全く判りません」
訝しむ譲に、望美は少しふざけすぎたかと気にかかるが、ここで引くわけにはいかない。
「ま、たまには良いじゃん。はい、眼に入ると危ないから、ちゃんと閉じてね」
両手で眼鏡を構えて、譲を促した。
「たまにはって……普通はやらないですよ、こんなこと」
不満を口にしたが、望美が退かないことが判ったのだろう。諦めた仕草で軽いため息を一つ吐くと、譲は大人しく目を閉じた。
「はい。じゃあ、いくよ」
望美は小さく息を呑む。
そして、構えていた眼鏡を下ろすと目を瞑り、そっと譲の唇にキスをした。
2011年08月03日UP【HPのみ】
お読みくださり、ありがとうございます。
譲くんの誕生日に合わせて何かUPさせたいと思っていたのですが、誕生日に間に合わない上、誕生日と全く関係の無い話にしかなりませんでした…。
ま、いつもの私ですね、はい、すみません……○| ̄|_。
今回は終始望美視点で書いてみたんですが、なんかうまくいった感があんまり無い…(汗)。
やらせたかったことは、眠り姫にキスをしようとするけど、逆に返されるという感じのもので、まあ目標は達成(?)
その前に姫は望美じゃないのかと思われるかもしれませんが、そこは間違ってないです。王子役が望美ちゃんなのです。
実は時間軸で悩んでなかなか話が進められなかったのですよね。
眼鏡を取った姿を見慣れていないとなると、迷宮エンド後間もなくか、恋愛エンド後間もなく辺りで、一応は付き合ってる前提みたいですね。(当たり前か)
なんか久しぶりの割りにちょっと消化不良気味な感じですが、ほんのり譲望と言わせてください…。
(……よく考えたら、譲が幸せを感じてるかどうかが、全然わかんなくないか、この話Σ( ̄ロ ̄lll))