『宴』サンプル【剣助×葵】

【8月 上野 みよしの】



「……そう……すけ…………ぅん──」
 小さく開いた唇から零れた言葉。
 それはすぐに規則正しい微かな寝息に戻ったが、剣助は思わず顔をしかめる。
 剣助が横向きに抱き上げ、無防備な寝顔をさらす葵の口から聞こえた名前は、彼の心を波立たせた。
「……ったく、今はオレが側にいるっていうのに、誰の夢を見てるんだ」
 本人に聞こえないとわかっていながらもつい不満を口にし、剣助はそんな自分自身に苦笑する。
 思う存分寝顔を堪能させてもらおうか、なんて鬼格には冗談交じりに返していたが、その言葉自体は剣助の本音であった。
 起きているときの葵は、剣助が少し側に寄ろうとするだけで『近すぎる』と困り顔で怒る。そんな彼女も剣助には可愛くて仕方ないのだが、怒らせ過ぎると禁止令を出されかねないので、普段はなるべく必要以上に近寄らないようにしていた。だが、彼自身はやはり物足りなさを感じていた。
 そんな気持ちも少なからずあって、彼女を部屋まで運ぶ役目を買って出た剣助だったが、そこで幼馴染みの名前を寝言で聞かされるとは思ってもいなかった。
 しかも、ついさっき、葵に想いを告げたばかりの者としては、何とも言いがたい気持ちになり、胸に燻る。

 ──神鳴宗助。

 葵曰く、異常なくらい風貌が剣助そっくりで、言動の似ているところもあるらしい。
 葵は宗助とは恋人同士というような関係ではなかったようだが、幼い頃から共に過ごしていたらしく、ことあるたびに彼のことを思い返しているようだった。
 こうして眠っている今も、寝言で名前を呼んでしまうくらいの存在。その現実を突きつけられて、剣助はこの時代にいない相手に嫉妬する。
 そうこう考えているうちに、いつの間にか葵の部屋の前まで辿り着いた。
「着いたぞ、アオイ」
「う……んん……」
 剣助の声に少しだけ眉根を顰めて反応したが、すぐに穏やかな寝顔に戻る。
 仕方がないなと呟くが、葵を抱き上げた体勢では、襖を開けることもままならない。少しだけ自分の足で立って貰おうと、彼女を足元から降ろす体勢にしてから声をかける。
「ちょっとだけ自分で立ってくれないか?」
「んん……わかっ……た」
 彼女は緩慢な動作で眠い目をこすりながら、剣助の支えを借りて降ろした足で立った。
 ……が、どうやらまだ半分は夢の中だったようだ。足元がおぼつかず、剣助の方に倒れこんできた。
 ──ぽすんっ。
 葵の顔が剣助のちょうど胸のあたりに埋まるように寄りかかる。
「おい、アオイ?」
「うん──」
 全体重ではなかったが、不意の彼女の重みに剣助は一瞬よろけそうになるが、すぐに彼女の身体を支えて抱きとめた。
「──すぅ……」
「……もしかして、立ったまま寝てるのか……?」
 器用なやつだと剣助は胸中で呆れた。そのまま動かずに少し様子を見てみるが、葵は剣助の胸に顔を埋めて目を瞑ったまま寝息を立てており、動く気配がない。
「まだ抱き上げている方がましだったか?」
 だが、ぼやいていても仕方がない。剣助は気を取り直すと葵を片手で支えつつ襖を開け、再び彼女を抱き上げて共に部屋に入った。

2011年10月23日発行『宴』の【剣助×葵】の一部です。
このような小噺を、鬼格×葵、淋×葵、陽太×葵、七巳×葵、誠司×葵の計6本収録しています。

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